こんにちは。高橋雅人です!
今日は中学~高校時代に何をしていたのかを書いてみます。
基本的に部活、部活の毎日でした♪笑
中学校に入学して、当時誰もが通る道だった『何部に入るのか?』という問題。
仮入部と呼ばれる体験を済ませ選んだ部活は『卓球部』でした!
先輩たちはみんな優しく、楽しく過ごさせてもらいましたよ♪
秋には新人戦があり、第一試合で敗退。その負けた相手が確か優勝したんじゃなかったかな?
その頃からですね、他の同級生と比べて上達が遅いことに気が付いたのは…。
時を同じくして、仲の良かった同級生が誘ってくれた体操教室で、できなかったことがドンドンできるようになるのが楽しかった。
これまでの人生最大の決断をここで下します!!
『卓球部をやめて、体操部に入る!』
体操部と言っても、実は中学校に器具が無い。
そのため体操教室で使わせてもらっていた近くの高校で高校の先生に教えてもらいながら部活をしていました。
中学生なのに高校の先生に教えてもらう。しかもその先生の指導の仕方は大学生の練習方法という、今思えば結構キツイことやってたと思います!笑
そんな中、中学最後の中越地区大会で課題が与えられます。
「指定した一つの技を失敗したら、丸坊主!!」
当時、部活で坊主になるのは野球部だけだと思っていた僕は軽くショックを受けました。
指定された技は、種目・床『前方宙返り一回ひねり』当時成功率50%程度の技です。
結果・・・
見事なまでの大股2歩で着地失敗!!
ここから僕の坊主人生が始まります。
髪の毛をちょっと残してみたり、ハートにしたりと、遊びながら刈り上げている時の先生とコーチの笑顔は今でも忘れられません♪笑
そんな中学体操メンバーが数名残って高校体操時代がスタート。
この時、一番驚いたこと。
なんと、卓球部の時、唯一の公式試合で見事に敗退を期したあの彼が体操部にいるではありませんか!?
誰かの知り合いとか、誘ったとかでもなく。凄い確率だなぁ、なんて思ったりしましたね。
もちろんいろんなドラマがありましたが、僕の中での最大の出来事は高校2年3月5日に起こります。
その日は先生方が会議で体育館に来るのが遅れていました。
丁度その時期は最後の大会を前にした試合期。
中でもⅠ期と呼ばれ、クオリティーは無視してすべての技を入れた通し練習を決められたセット数、失敗することなくクリアする、という過酷な時期でした。最後の着地で足一歩動いたらやり直し、終わるまで帰れないという時期です。
準備を終え、僕が最初に入ったのが鉄棒。
最初の車輪を終えツイスト~、えっ、あれっ!?手が動かない・・・
『パッキーーーン!!!』
体育館中に響き渡る高い音。
気付いたらすぐそこにに同級生の部長が駆けつけていて、周りの人たちは目が点になっている。
僕は何をしているんだろう・・・
あっ、骨が折れたんだ。
『左橈骨尺骨開放骨折』
左前腕の2本の骨を骨折、うち一本は開放骨折をしていました。
すぐに病院に運ばれ緊急手術です。
病院の先生から細菌が入ってしまっていた場合、最悪腕を切ることもあるかもしれないという説明を受け同意。
無事に手術を終えました。
(余談ですが、この時手術室でかかってた曲が「波乗りジョリー」の永遠リピート。なぜ冬に!?と心の中でツッコんでたのはココだけの話です。)
その後部活の先生が来てくれて、ひたすら、ただひたすら僕は謝っていました。
最後の大会の直前にすみません・・・と。
その時提案されたのが、マネージャーという仕事でした。
いつも前向きに先を照らしてくれる先生のおかげで、挫けずにすんだ、本当に感謝です!
その後、「スポーツ生理学」「マッサージ」「テーピング」の本を何回も読み直しました。
それと同時に怪我をしていない右手、両足のトレーニングを病院で開始。
僕の最後の目標を「国体予選」に絞り、それまでは選手のサポートに回る決意をします。
そんな入院期間中、ほぼ毎日来てくれたのが、骨が折れた時に駆けつけてくれた部長の同級生。
この時初めて飲んだ「スゴイダイズ」の味は今でも忘れません!!
3週間後、無事退院。
この頃から僕の役割は先生がいない時の先生役。
嫌われるの覚悟でめちゃめちゃキツイことをよく言っていたと思います。
そして、最後の県大会。
毎年上位2チームが北信越大会に出場する権利をえることができる公式戦最後の大会です。
小学生からずーっと体操を続けている選手たちのチームが多い中、僕らのチームは高校から始めた人も混ざった混合チーム。
それでも北信越大会出場を目指して今まで頑張ってきました。
結果
…
…
見事、2位!!
北信越大会でも4位と健闘の結果を収めました。
この最後の大会が終わった約2か月後、僕は自分に蹴りを付けるべく「国体予選」に出場します。
怪我をしてから僅か4か月後のことでした。
結果はヒドイものでしたが、高校時代の体操をスッキリと区切りをつけることができました!
大学でも体操を続けよう、と固く決意したのはこの時です。
その時の写真がこれ。
最後に2人目の恩師・体操の先生から言われて今も覚えていることを書いて、高校時代までを終えたいと思います。
「いいか、ありがとうだけは言える人間になれ」
ABOUT この記事を書いた人
高橋 雅人(たかはし まさと)
新潟県十日町市でミヤコヤの長男として生まれ、家業を継ぐべく現在修業中です。人の笑顔を見ること、喜ばせることが好きで、メガネを楽しめる方が増えるように、いろんなことにチャレンジ中!趣味は、読書・映画鑑賞・カクテル。【SS級認定眼鏡士/認定補聴器技能者】
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